江藤公次はこんな人
ご覧下さりありがとうございます。
表参道・原宿で『フリーランス美容師』として活動している『江藤 公次/エトウ コウジ』です。
このブログは、
僕の得意な技術『ショートカット』の知識で、少しでも多くのショートヘアでお悩みの女性が、
☆より輝けるように
☆ショートヘアの素晴らしさに気付いてもらいたい
☆ショートカットのデザインは無限大
☆ショートヘアは誰にでも似合う
☆僕のショートカットのこだわり
の思いを込めて書いています。
そして、もう一つは、
『フリーランス美容師』という新しい形態で活動し5年が経ち、僕が経験した雇用されていた際にはわからなかった、
☆素晴らしい事
☆困った事
☆こんないい物があるんだ
など、これから『フリーランス美容師』になろうかなと思っている世の美容師さんに情報を広めるべく発信しています。
あとは、コラム的な内容も少し(笑)
さて、私、江藤がどんな人間か簡単に自己紹介をさせていただきますね。
僕は、1981年9月19日、福岡県で生まれました。
2歳の時に、親の転勤で、東京都三鷹市に。
今でこそ高級マンソンが立ち並ぶ、住みたい街ランキングにも入る感じですが、当時は畑や木が立ち並ぶ、自然豊かな街でした。
裸足で外を駆け回るやんちゃな幼少期を過ごし、
三鷹市立第六小学校に入学し、三鷹市立第一中学校に進学。
当時は、スラムダンク絶頂期で、
浅はかにもブームに乗り、湘南バスケ部に憧れ仮入部をするも、水飲めない、ずっと走りっぱなし、怖い不良の先輩にビビり挫折ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
結局、軟式テニス部に入部するもテニスの楽しさの虜に。
結果オーライな中学校生活を過ごしました。
高校は女子バレーが強く三代目J soul brothersの登坂広臣さんの出身校でもある八王子実践高等学校に入学。
もちろん、テニス部に入ろうと思っていたのですが、
えっー!!!まさかの男子テニス部がない!!!
事前に調べていない、この適当加減(笑)
やむなくサッカー部に入部し、高校時代は友達とカラオケに行ったり、駅前にあったSOGOの最上階のゲームセンターで遊ぶ日々。
高3の春に、美容師である母のススメで美容師を目指します。
そして、新宿にある真野美容専門学校に入学。
勉強してもテストで点数が取れない悲しい学生生活だったのですが、
練習した分だけ上手くなる技術というものに初めて触れ、美容の熱が開花!
2年間、楽しい学生生活を過ごしました。
当時カリスマブームの波がまだある美容業界
そのカリスマ美容師に憧れ、青山のヘアーディメンションに入社
イケメンが多い美容室でも話題だった中、先輩に言われた一言は今でもわすれません。
『ここでは顔がいいか、キャラがいいかでしか生き残れない。ちなみにお前は顔じゃないから勘違いしないようにね・・・』
厳しい洗礼を受けました笑
当時の美容業界は、縦社会真っ只中。理不尽な事もある時代でしたが笑
社会の厳しさ、業界の厳しさを多く教えてもらいました。
アシスタント歴3年でスタイリストデビュー
当時は、SNSもアメブロやmixiくらいで、ホットペッパーもない時代。
仕事終わりに先輩や同期のスタイリストと渋谷に行き、お客さんをハント集客する日々でした。
スタイリスト3年目くらいで先輩に眼をかけてもらえ、CanCamのヘアーメイクも担当するように。
27歳くらいのアラサー時代は、
撮影の仕事も順調に多く頂けるようになるも、土日も撮影でサロンを不在にする事が増え、売り上げが上がらなくなり、サロンワークと撮影の両立に葛藤しました。
そして、考えた末、撮影の仕事を後輩に受け渡し、サロンワークを中心に活動することに。
29歳の時、美容業界も店舗増により苦戦する時代突入。
表参道、原宿は、この中心部!!
自分の美容師像をお客様に体現できて喜んでもらえるにはどうしたらいいんだろうと考え模索していたら、
『フリーランス美容師』というものがある事を発見。
31歳の時、原宿のフリーランス美容室アトレーヴに移転する事に。
得意の『ショートカット』でありがたい事にたくさんのご支持を頂け、お客様も順調に増え、『フリーランス美容師』として現在も活動しています。
お客様がもっと輝ける時代に☆美容師がもっと輝ける時代に☆
を大切に『ショートカット』の無限大の可能性と『フリーランス美容師』として美容業会をイノベーション!!